性依存症 ~2度の逮捕からの人生の立て直しのブログ~

依存症と気付き、克服のために治療をする過程でアダルトチルドレンである自分に気づいてしまった・・・ この2つから脱却する過程を記録を残せればと思っております。また、自分と同じ悩みを持っている方、自分と同じ過ちを犯してしまった方々がこれから生活していく上で参考になればと思います。

依存症での通院 3

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通院が始まり、1回目は院長の診察で依存症の本を読むように言われた。通院というか依存症プログラムに通うことになった。

私が通うプログラムは週に1回あり(性依存症以外の依存症のプログラムもあるため)会社帰りに参加できるように19時から始まり、1時間半程度あった。詳しくは以前のブログの内容を参照願いたい。

 

freemoney380000.hatenablog.jp

 

 一応、治療になるので健康保険の対象となり、一回参加することに1000円強の支払いとなる。通院が長期になる場合、詳しくは忘れてしまったが健康保険組合だったか、住んでいる市町村だったかに申請すれば補助金的なものがでるとのことであった。(自分には関係ないと思いよく聞いていなかったし、会社の健康保険組合に依存症で通院しているのがバレたら困ると思い利用する気もなかったのでよく覚えていない。ただ、病院に確認したが健康保険組合に何の症状で通院しているかを病院側から言うことはないと言われたのは覚えている。)

全10回のプログラムのため、週1回、休みなく通えば2カ月半ぐらいで完了することができるが、仕事に行きながらなので実際は月1回ぐらいになってしまい、私の場合、9カ月かかってしまった。

もう少しペースをあげて通うことは可能だったが、少しずつ長期間通ったほうが効果が持続して意識できると思った。10回終わると院長の診察がありそれからどうするか決めるとのことであったがプログラムに通っている最中に、診察を受けるよりプログラムで学んだことを実践しずっと意識することが重要だと気付いた。運転免許を取得するときのように教習所に連続で通って早く終わらせるのとは違うのである。

こうして私は過去2回の過ちを正すために依存症プログラムに参加することになったのである。

 

すべて自分次第

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ちょっと今までの過去の話ではなく、違うテーマで今日は書きたいと思う。以前のブログで女優の竹内結子さんが亡くなったときに自殺について少し触れたことがある。

 

freemoney380000.hatenablog.jp

 

私自身も2回ほど自殺を本気で考えたことがあった。

家族ぐるみでお付き合いしていて、幼いころからの知り合いだった人が自殺をした。幼い頃はよく一緒に遊んだが、中学、高校と進学すると会わなくなった。親やまわりから彼の現況を聞いていたが、大学時代に一度会ってそれっきり会うこともなくなっていた。

彼が自殺したことは彼の家族やごく近い身内のみにしか知らされておらず、私自身も知らされていなかった。ある時、私の母が彼の母親と話をしたときに彼が自殺して死んだと聞いたといった。彼の母親から自殺したことを言わないでほしいということだったので私にも言わなかったと言う。最近、私の母は軽度の認知症になっているので勝手な思い違いだと思っていたが、時間をおいて何回聞いても彼は自殺して死んだというので彼の母親に近しい知人に聞いてみるとやはり数年前に彼は自殺していた。

彼は今でいう「発達障害」の人だった。今の時代、発達障害についていろいろと研究され病気の一種と認知されつつある。しかし私が幼少期を過ごした昭和の時代にはそういった認識は世間一般にはなく、障害としても見られていなかった。今思えば、彼と遊んでいる時、かたくなに遊び方にこだわり場を乱したり、おもちゃを貸さずに子供同士でトラブルになり、母親が注意しても絶対貸さなかったり、みんなでご飯を食べに行っても自分が食べたいものがないとかたくなに食べなかったりして周囲を困らせていた。私より少し年上だったので相手に思いやりのないやつだな~、一緒に遊ぶのは嫌だな~、わがままなと子だな~と思っていた。

彼は頭がよく、中学高校と進学して首都圏の有名大学へ進学し、その後も大学院に行って専門的な勉強をしていた。仕事も誰もが知っているような有名企業へ就職した。しかしそんな優秀な彼も人間関係に悩んでいたと後から聞いた。彼は大学時代、どうしてこんなに人間関係がうまくいかないのか悩んでいたらしい。人間性を養うために演劇部に入部し演劇の勉強をしてコミュニケーション力をつけようとしたり、海外ボランティアに参加し視野を広げようとしていたらしい。だが、どうしても人間関係がうまくいかず悩んでいたときに、彼の大学の同級生が発達障害について教えてくれ、専門の病院で診察してもらうこととなった。すると脳の前頭葉がうまく機能していないということが分かり、発達障害と診断されたそうだ。彼が悩んでいた人間関係やコミュニケーション力のなさは発達障害が原因と判明したことで治療し、前向きに生きていけるはずであった。

しかし、彼の場合は残念なことに両親を憎むことにベクトルをむけてしまった。彼の父親は発達障害と診断されているわけではない。しかし、今考えると少し変わっている人だなと子供心に思っていたし、私が大人になって会った時もそう感じたのでおそらく発達障害だったのだと思うが、昔は「変人」「変わった人」「個性的な人」ということで片付けられていた。自殺した彼は自分の障害が父親からの遺伝だと考えて父親を恨んでいたらしい。母親へは自分がこんなに苦しんでいたのに何もしてくれなかったと思っていた。彼は結婚もしないし子供もつくらないと宣言していたらしく、こんな障害がある悪い血は自分の世代で絶つという意思表示だったそうだ。

会社に就職してから一人暮らしをしていたが、やはり人間関係に悩み、親にも周囲にも相談せず酒浸りの生活になった。アルコール依存症で体を壊し休職した。大企業だったので保証も十分してくれたようで、体が治るまで実家で静養させ、回復してから出社するようにとのことだった。ただ実家では父親と同居することになる。何年も口を一切聞かなかったらしい。

体も回復し、精神的にも落ち着いてきたので再度一人暮らしを始め、職場にも復帰をした。しばらくして会社から出社してこないと連絡が入り、アパートに行ってみると自殺していたそうだ。

私は「自ら命を絶つのは悪いことなのでやめましょう!」などときれいごとを言うつもりはない。いいことも悪いこともどう感じ、どう自分の中で受け止めて処理して行動するかは全て自分次第だと思っている。彼の出した自ら命を絶つという結論を責めるつもりはない。どうして誰にも相談しなかったのか、私に相談していてくれていればとかなどとも思わない。冷たくドライな人間に思えるかもしれないが生きるも死ぬも、やるもやらないも全て自分だと思っている。依存症の自分を知り、依存症に向き合い、再発しないように努力するもの自分だし、欲望に負けてまた問題行動をおこしてしまうのも自分。周りの協力や環境ももちろん大事であるが最後は自分。これからもこの気持ちを忘れずに生きていきたい。

不起訴

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それからしばらくして、弁護士から連絡があった。示談成立となったとのことだった。詳しくは書けないが示談金は相場程度で100万円など高額な示談金とはならなかった。相手側との示談内容と私からの要望を盛り込んだ示談書の作成にかかるとのことであった。弁護士から被害者家族との示談が成立したことを担当の検察官に伝え、起訴になるか、不起訴になるかはまた検討して連絡するという回答があったとのことだった。

後日、示談書の原本が送付されてきた。内容は弁護士へ出していた私の要望も盛り込まれた内容であったので、署名捺印して送り返した。弁護士から電話があり、今回の私の起こした事件に関しては不起訴処分になったとのことであった。

以前のブログに書いているが1回目に逮捕された時は自分にも知識がなかったし、相談した当番弁護士も詳しく教えてくれなかったので10日拘留延長後、罰金刑となり前科がついてしまった。1回目の時も同じようにしていればひょっとするともっと早く釈放され不起訴処分になっていたかもしれない。

不起訴処分になったからといって犯罪を犯したことには変わらない。ただ純粋に思ったのは地獄の沙汰も金次第というが結局お金をかければ解決することも多く、有利に進めることができるのだ。そんなの不平等だとは思うが、昔からよく聞く金持ちが事件をもみ消したとか優秀な弁護士がついて無罪になった話とか実際にある世の中なのだと痛感した。

不起訴処分になったため、警察や検察に呼び出されることもなく、弁護士経由で伝えられたきりで警察からの連絡もなかった。弁護士に委嘱したので代理人の弁護士が全てやってくれる。当たり前なのだが、こんなにもあっけなく終わってしまうのだなと思った。もし、これで依存症治療など病院に行って治療せず、1回目と同じように過ごしていれば「捕まっても金を出せばなんとかなる」と思ってまた盗撮を繰り返していたかもしれない。しかし今回は身内には全て今までのこと、経緯はバレてしまったし、依存症治療にも通うことになり1回目の時とは大きく違う一歩を踏み出したのだった。

 

示談交渉

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しばらくして弁護士から相手方が示談交渉に応じると回答があったとのの連絡が入った。内容についてはこれから交渉に入りますとのこと。とりあえず示談交渉になることで一安心できた。

迷惑防止条例程度の事案で示談交渉が成立すると検察も不起訴処分にするケースが多い。もっと重い事件であれば示談が成立しても起訴される。ただ裁判では示談が成立していると減刑される要素になるようである。

今回の被害者は未成年だったとのことで両親との交渉であるとのこと。示談金などの金額はこれからとのことだった。示談交渉にあたって私に謝罪の手紙を準備してほしいと言われた。今回の事件をおこして迷惑をかけてしまったお詫び、今後どのように反省していくのかを書いた謝罪の手紙を提出して、今回の事件をどれだけ反省しているのかを示してほしいとのことであった。内容も弁護士でチェックして添削しますとのことであった。

今回は1回目の時と違い、身内に事件のことは知られてしまい、依存症治療で通院することになるなど、大きな違いがありそのことを謝罪の手紙に書いた。また、被害者と会わないように事件をおこした駅は利用せず、違う駅を利用することにした。そういった内容を反省文に書いたのだが2回ほど弁護士から添削がはいった。「被害者に対してのお詫びの表現をもっとこうしてほしい」とか「こういった内容を盛り込んで書いてほしい」など細かい指示もあった。やはりこういった事案をたくさん取り扱っている弁護士先生なんだなと感じた。この手紙を被害者家族に送ると同時にこういった謝罪の手紙を被害者に出していると同じ内容のものを検察にも提出するということであった。

あと示談をするにあたって私からの希望はありますかと聞かれた。特に希望はなかったが、被害者家族は加害者である私の名前は知っている。私は特に有名人でもなく、なにか特別な活動をしているわけではない。名前の読み方自体はごくごく普通にある名前で同姓同名の人も日本にたくさんいると思う。だが、読み方はありふれていても漢字ではなかなかこの漢字を使っている人はいない漢字である。当て字ではなく漢字辞書を引けば人名での読み方でちゃんと表記されている。でも今まで同じ漢字をつかった自分の名前の読み方の人に出会ったことがなく、ましてや名字との組み合わせであれば、仮にネットで調べた時になんらかの私のなにかに繋がる可能性が高い。だから、示談の条件として私の実名をネットに書くことや、検索することをやめていただくよう依頼した。その点は示談書を作成するときに盛り込むようにしますとのことだった。

検察も示談交渉の結果を見ながら起訴するしないを決めるようだ。しかし、あまり示談が成立せず時間がかかり過ぎると起訴され先に実刑を受ける可能性があるとのことで、これから示談が成立するまでは時間との勝負ですと言われた。しかし私自身でこれ以上することがなく、不安であるが弁護士からの連絡を待つしかなかった。

最近思い出したこと

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このブログを書き始めたころに書いたが、書いている意味としては、過去の自分を忘れないようにするためである。一応、自分しかわからない手記ではなく他人が見ても内容がわかるように書いている。特にこのブログを自分のSNSで紹介したり、どこかのwebページにリンクを貼ったりはしていないのだが、最近このブログのアクセス数が増えているようである。

このブログを書いているのは家族、身内を始め友人、会社の同僚も全く知らない。どういった人が読んでいるのか、興味本位なのか、自分と同じような依存症の人なのか、はたまた依存症を家族に持つ人なのかわからない。いつの間にか検索サイトで検索するとこのブログが出てくるようになった。一人の同一人物が何回もアクセスしてくれているのかもしれないが・・・

もし同じ依存症の人が見ているのであれば、すごく当たり前なことかも知れないが依存症の自分を変える一番シンプルで簡単(かどうかは自分の置かれた状況にもよるが)な方法を書いておきたい。

「環境を変える」ことである。

そんなことは当たり前だと言われるかも知れない。それができるなら誰も苦労しない。ただ、出来るなら環境を変えるのが一番で手っ取り早い。

「こんな自分が嫌だ!」「こんなことを考えてしまう自分は人として最低だ!」とか思って、そんな自分が嫌になり自分を変えたいと思う。治療法はいろいろあるのだと思うが、私が学んだのはそんなことを思ってしまうのも自分、その自分を受け入れること、認めることから始める。そして自分が変わるために何をすべきかを考える。

ここまでは誰でも考える。だが、次の一歩が踏み出せないし、どうしたらよいかわからなくなる。で、結局何も進まない。時間が経てば元の自分にもどって同じ過ちを犯してしまう。

ではどうするのか?環境を変えるのである。痴漢を何度もしてしまう人は満員電車に乗らないようにすれば少なくとも電車に乗っている時に痴漢がしたくなりしてしまうことはない。依存症治療に通っていた時も問題行動が痴漢の人は電車に乗らない、乗らなくてはならない時は満員電車を避けて乗るようにしていた人達がいた。盗撮の人はスマホのカメラを壊して写せなくする。そんなの仕事をしてたら電車で通勤しなければならないので無理だとかスマホのカメラを壊して使えなくしていたら、いざなにかカメラが必要な時に不便だ、誰かに理由を聞かれたら困るからとか、できない理由をあげて実行しない人はなにも変われない。結局そこまで自分の症状を深刻に受け止めていないのだと思う。実際に電車に乗らなくてよいところに引越しをして自転車通勤したり、スマホのカメラを壊している人がいるのだ。

たまたまであるが、自分は2回目に捕まった後、ストレスの原因となった職場の上司とも折り合いが悪くなり大都市圏を離れ地方に転勤で飛ばされ、通勤も自転車・徒歩となり公共の交通機関に乗ることもなくなった。職場からも自転車で10分程度のところに住んでいるので仕事終わりに会社の同僚と飲みに行くことはあっても、ほとんどの日は仕事が終わるとそのまま寄り道することもなく(地方なので寄り道するところも少ない)家に帰るので問題行動を起こす状況にならない。

しかし、仕事で公共の交通機関に乗った時やショッピングセンターに行った時、エスカレーターに乗り前にスカートの女性が立っているとふと、昔の盗撮していた自分を思いだすことがある。盗撮をしたいという衝動にかられるというよりは、昔の自分だったら周囲を見渡して誰もいないか、盗撮できる状況か見てスマホを準備していただろうなとか考えてしまうことがある。ということは何かしら盗撮が出来る状況が重なってしまうと問題行動を起こしてしまう可能性があるのだと思っている。今は環境や精神状態が問題行動を起こす状況になっていないから起こさないだけであって、結局依存症は完治はしない、症状がでないように付き合っていくしかないのである。

何か問題が起こっても時間が解決してくれるという。確かに時間が経つにつれ逮捕された時の思い、妻に対しての贖罪の気持ち、迷惑をかけた自分の周りの親族や友人への感謝の気持ちが薄れ、忘れていく。でもそれを忘れてしまってはまた元の問題行動を起こす自分が表面に現れる。そうならないために、思い出すためにこのブログは細々でも長く続けていければと思っている。

警察署への出頭

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警察に捕まってから数日経ち、近くの警察署に出頭するように言われた。前にも書いたが鉄道警察は取り調べまでであとは管轄の警察署が担当となる。てっきり警察署の刑事(警察官?)の取り調べかと思っていたが、私を捕まえた鉄道警察の人であった。あと、担当なのか管轄の警察署の人がいた。

日曜日に出頭したので、警察署の中は薄暗く閑散としていた。調書を取られ、全ての指の指紋、手のひらの掌紋も全て採られた。1回目に逮捕された時は特に採られなかった。前に逮捕された時、採りましたかと聞かれたのでいいえと答えると普通逮捕されたら採るんだけどねと言われた。写真も正面、横など様々な角度から採られ、最後に口の中の細胞を取りDNAを採取された。DNAの採取、データ保存に対しての同意書を書かされた。

スマホもいろいろと調べた様子であったが、申告通りのものしか(捕まった当日とその前の1人分)なく、特に削除データ修復とかはしていない様子だった。もちろん、同種の犯罪でも大量の盗撮画像を所持していたりすると、きっちりと調べる様子だが、以前逮捕されて留置施設にいたときにいた大学生の話だと特殊機材(盗撮用のピンホールレンズを使った盗撮など)は徹底的に調べるがスマホや携帯であればそこまで調べないと言っていたがその通りだった。もちろん今回は家宅捜索やパソコンの提出などなく、スマホも警察署を出るときに返却された。トータル4時間ほどで帰宅出来た。

経験上、少しでも罪を軽く、ばれないようにしたいという心理になるが、ばれた時には警察や検察に対しての心象も悪くなりいいことはない。1回目に逮捕された時、これがばれたら後で大事になると思って聞かれてもいないことまで全部しゃべっていたらさらっと流されたことが何度もあった。だからこういった状況になった時には素直に全て正直に話すことが、後々自分自身の好印象に繋がると思う。

家族の対応

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2回目の事件を起こしてしまったことによって、今回は離婚だなと思っていた。妻の回答はとりあえず今すぐに離婚はしないということであった。引っ越してきてまだ半年ほど、子供も学校に慣れたところまた妻の実家に帰るものあまりにもかわいそうだということだった。これからの私の行動を見て判断すると言われた。

私の親、兄弟には1回目の逮捕を含め全てのことが伝わった。もちろん莫大な借金があることも知られることとなった。今回のこと、今後のことも含め一度、私の親兄弟が上京し集まり話し合いをすることとなった。

妻は次女の姉と話をし、手紙のやり取りをしていた。姉の夫も私の精神状態を気遣ってくれていたようである。姉夫婦から借金も全部でいくらあるかきっちり計算して出しなさい言われた。妻ももちろん借金のことは知らなかったが、私が妻に言いだせなかったこと、なにも思わず普通に生活できていたのは借金を重ねた結果だったことは十分に理解してくれた。少しでも負担を減らすために妻はパートをしてくれることとなった。

弁護士から紹介を受けた依存症の病院はかなり込み合っており初めて電話を入れてから約1カ月後の予約しか取れなかった。依存症の治療は本人一人ではなかなか進まず、家族の協力(他人の目)がないと難しい、妻に協力を仰げるのであれば一緒に病院にいったほうがよいと言われた。

初診は院長のカウンセリング(診察)から始まった。今までの経緯を話した。まず性依存症についての説明を受けた。海外では性犯罪の矯正プログラムとして女性ホルモンを投与したり、極端な国では去勢をしたりするそうである。もちろん日本ではそういった治療(矯正)は認められていない。ただ、性犯罪は再犯率が高いのでなかなか治療も難しいと言われた。1冊の本を渡され読むように言われた。依存症のしくみ、治療の本であった。この時まだ性犯罪と依存症との関連性を理解していなかった。それまで私は性犯罪の人を矯正するには性に関するもとをたつ(それこそ去勢や女性ホルモンを投与して性欲を減らず)しかないと思っていた。あとは本人の意志次第だと。

妻は依存症の家族を持つ自助グループ向けに行われているセミナーに参加してくれることになった。依存症とは何か、どんな治療が必要か、まわりはどういうふうに接するのかなど教えてもらうセミナーだった。こんな私のためにパートも始め、セミナーに参加してくれる。うれしいというよりもこんな自分でも見捨てずにいてくれる妻に感謝しかなかった。