
ちょっと今までの過去の話ではなく、違うテーマで今日は書きたいと思う。以前のブログで女優の竹内結子さんが亡くなったときに自殺について少し触れたことがある。
freemoney380000.hatenablog.jp
私自身も2回ほど自殺を本気で考えたことがあった。
家族ぐるみでお付き合いしていて、幼いころからの知り合いだった人が自殺をした。幼い頃はよく一緒に遊んだが、中学、高校と進学すると会わなくなった。親やまわりから彼の現況を聞いていたが、大学時代に一度会ってそれっきり会うこともなくなっていた。
彼が自殺したことは彼の家族やごく近い身内のみにしか知らされておらず、私自身も知らされていなかった。ある時、私の母が彼の母親と話をしたときに彼が自殺して死んだと聞いたといった。彼の母親から自殺したことを言わないでほしいということだったので私にも言わなかったと言う。最近、私の母は軽度の認知症になっているので勝手な思い違いだと思っていたが、時間をおいて何回聞いても彼は自殺して死んだというので彼の母親に近しい知人に聞いてみるとやはり数年前に彼は自殺していた。
彼は今でいう「発達障害」の人だった。今の時代、発達障害についていろいろと研究され病気の一種と認知されつつある。しかし私が幼少期を過ごした昭和の時代にはそういった認識は世間一般にはなく、障害としても見られていなかった。今思えば、彼と遊んでいる時、かたくなに遊び方にこだわり場を乱したり、おもちゃを貸さずに子供同士でトラブルになり、母親が注意しても絶対貸さなかったり、みんなでご飯を食べに行っても自分が食べたいものがないとかたくなに食べなかったりして周囲を困らせていた。私より少し年上だったので相手に思いやりのないやつだな~、一緒に遊ぶのは嫌だな~、わがままなと子だな~と思っていた。
彼は頭がよく、中学高校と進学して首都圏の有名大学へ進学し、その後も大学院に行って専門的な勉強をしていた。仕事も誰もが知っているような有名企業へ就職した。しかしそんな優秀な彼も人間関係に悩んでいたと後から聞いた。彼は大学時代、どうしてこんなに人間関係がうまくいかないのか悩んでいたらしい。人間性を養うために演劇部に入部し演劇の勉強をしてコミュニケーション力をつけようとしたり、海外ボランティアに参加し視野を広げようとしていたらしい。だが、どうしても人間関係がうまくいかず悩んでいたときに、彼の大学の同級生が発達障害について教えてくれ、専門の病院で診察してもらうこととなった。すると脳の前頭葉がうまく機能していないということが分かり、発達障害と診断されたそうだ。彼が悩んでいた人間関係やコミュニケーション力のなさは発達障害が原因と判明したことで治療し、前向きに生きていけるはずであった。
しかし、彼の場合は残念なことに両親を憎むことにベクトルをむけてしまった。彼の父親は発達障害と診断されているわけではない。しかし、今考えると少し変わっている人だなと子供心に思っていたし、私が大人になって会った時もそう感じたのでおそらく発達障害だったのだと思うが、昔は「変人」「変わった人」「個性的な人」ということで片付けられていた。自殺した彼は自分の障害が父親からの遺伝だと考えて父親を恨んでいたらしい。母親へは自分がこんなに苦しんでいたのに何もしてくれなかったと思っていた。彼は結婚もしないし子供もつくらないと宣言していたらしく、こんな障害がある悪い血は自分の世代で絶つという意思表示だったそうだ。
会社に就職してから一人暮らしをしていたが、やはり人間関係に悩み、親にも周囲にも相談せず酒浸りの生活になった。アルコール依存症で体を壊し休職した。大企業だったので保証も十分してくれたようで、体が治るまで実家で静養させ、回復してから出社するようにとのことだった。ただ実家では父親と同居することになる。何年も口を一切聞かなかったらしい。
体も回復し、精神的にも落ち着いてきたので再度一人暮らしを始め、職場にも復帰をした。しばらくして会社から出社してこないと連絡が入り、アパートに行ってみると自殺していたそうだ。
私は「自ら命を絶つのは悪いことなのでやめましょう!」などときれいごとを言うつもりはない。いいことも悪いこともどう感じ、どう自分の中で受け止めて処理して行動するかは全て自分次第だと思っている。彼の出した自ら命を絶つという結論を責めるつもりはない。どうして誰にも相談しなかったのか、私に相談していてくれていればとかなどとも思わない。冷たくドライな人間に思えるかもしれないが生きるも死ぬも、やるもやらないも全て自分だと思っている。依存症の自分を知り、依存症に向き合い、再発しないように努力するもの自分だし、欲望に負けてまた問題行動をおこしてしまうのも自分。周りの協力や環境ももちろん大事であるが最後は自分。これからもこの気持ちを忘れずに生きていきたい。